すきカミソリ

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世の中ではすきカミソリなんてものが流行っているらしい。剛毛が気になる草食系男子が、すね毛の処理をしたい時に、それでも、全くツルツルになるのは恥ずかしいけど、そのままは嫌!というニーズに確実に答えるために、すきバサミのように、完全に剃りっといってしまうのではなく、少し残しながら剃ってくれるという優れもの、ということだ。ジャングルは嫌だけどサハラも嫌、サバナくらいがちょうどいいというリアル肉食系ライオンなんかには必携のアイテムと言えよう。

 

最近は割と草食系が好まれていて、胸毛ボーボー、すね毛ボーボーのギャランドゥ全開男子には住みにくい世の中になっているようだが、私は剛毛男子を応援していきたい。こんな事をいうと、どうせおまえがジャングルで、ただ単に自己擁護をしたいだけなんだろうと思われるかもしれないが、別に、僕自体はほんの少しヒゲが濃いくらいで、決して、断じて、そんなにボーボーではない。いいかげんなめないでもらいたい。

 

そこにはちゃんと理由があって、人間がウホウホ言っていた時代は、皆、現代の洋服よろしく、全身に毛を生やしていたはずである。しかし、現代人には申し訳程度にしか体毛は生えていない。普通に考えれば、そちらのほうが都合がいいから、人類は体毛を捨て、服を着たという事になる。なぜ体毛を捨てたのかについては、長くなるので後日改めてご紹介するとして、ここでは体毛を捨てたその事実と、ここが大事なのだが、現代でも相当に毛深い人がいるという事実に着目したい。

 

現代は、猿と人間は、その毛深さにおいて明確な差がある。しかし、人類が体毛を捨てるその進化の過程においては、徐々に生やしてる派が少数会派になり、徐々に新党薄毛が勢力をのばすという緩やかな政権交代が行われていったはずである。ついに、過半数を割った総選挙の時などには、号外が飛び交い、時代が時代だけに「薄毛の野郎ども、ぶっころしてやる」などと、血気盛んな若者が逮捕されたかもしれない。

 

時は流れ、かつての総選挙の熱気も薄らいできた頃、万年野党となった生やしてる派は、党解体を検討せざるを得ない状況にまで追い込められてしまっていた。会派の会合は重苦しい空気に包まれている。意見が出たかと思えば、やれ、ポスターがいかんとか、党首の力不足だとか、熱のこもっていない議論ばかりが重々しく進んでいくだけだ。そのとき、入党したばかりの若者が口を開いた。その若者は、両親が熱心な生やしてる派の党員だったのだが、その両親もいよいよあきらめて、「お願いだから生やしてる派の学生運動にだけは参加しないで。こんな悲しみはわたしたちの世代で終わりにしたいんだ。」と言われ、育った。にもかかわらず、当時の学生運動をリーダーとして引っ張り、生やしてる派をなんとか復権させたいと思っている次世代のエースと目される男であった。「我々生やしている派は時代のニーズに敗れ、うちひしがれ、今やこんな少数政党に成り下がってしまっている。しかし、今一度考えてみてほしい、今だって、時代にマッチしていないにもかかわらず、一定以上の支持者だっているし、それは、我々が魅力溢れる人間である事を証明しているようなものだ。少数会派だからといって、あきらめずに、負けずに、これからももっともっと魅力を磨いていって、薄毛のやつらにはない価値を、皆で力を合わせて作り出していこうじゃないですか!」

 

会場は静寂を纏った。突然「そうだ!」と最古参の議員が声を上げた。それにつられて他の議員たちも声を張り上げ、大きな渦を作っていった。これが、のちに語られる、(と言っても僕にだが)剛毛が現世でも生き延びるきっかけとなる出来事である。

 

ほら、剛毛を応援したくなってきたでしょ。


こう考えると、これまで忌み嫌っていた女性の背中毛(せなげ)についても少し考えを改めねばなるまい。

 

女性はいつも感心するのだが、身体中のムダ毛をきちんとお手入れしている人が多い。もともと毛が男性より薄いというのもあるのだろうが、なかなか、うでげボーボー、脇毛ボーボー、すね毛ボーボーのボボ・ボーボ・ボーボボには会うことはできない。しかし、僕は割と身長が高い方なので、女性の斜め上から、ふとした瞬間にチラリと見えるせなげにはがっかりさせられることが多かった。

 

女性はムダ毛が少なくて素敵!とこれまで書いてきたのだが、実は僕は女性の毛に関しては割と寛大で、うでげとか、すね毛とかちらほら生えているのは割と気にならない。脇毛もがんばればいける、がんばれば。
 
でも、こんな僕でも、せなげだけはなぜだか許しがたい。何が許しがたいかというと、はえている方向とその密集率がなんとも、許しがたい。別に背中にはえているから嫌いなわけではなく、あの小学校の理科の実験でみた磁力線のような模様が嫌いなのである。
 
体毛処理を気にしている女子も、その地政学的条件からなのか、遊牧民がみたら喜んで羊をはなしそうになるくらい割と奔放にはやしている。一旦、あのせなげの存在を確認してしまうと、その女子については、これまで好きだったわけでも、もちろん、付き合っていたわけでもないのに、なぜだか、『みてしまったからにはしかたない、ここでお別れです。いままでお世話になりました』と逆鶴の恩返しのような切ない気持ちにさせられるのである。
 
これまで、ほかはばっちりなのに、せなげだけがこうも奔放だと、なんだかもったいないな、と思っても、『せなげの勢力がすごいので剃った方がいいですよ』などとストレートに言うことはできないし、なんとか彼女を傷つけずに、スマートに伝えようと思って、『あなたの背中の磁力線が僕の磁石(こころ)をかき乱すのです』などと言えば、変態扱いされることは目に見えているし、この問題は実に由々しき問題だな、などと思っていたのだが、先の、はやしてる派のエピソードを思い出せば、これからはせなげ女子にもが・ん・ば・れ!と温かい目で見守ることができると思う。
 
そんな話です。