浮気はいけない

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なぜ浮気をしてはならないのか。

 
こんなことを書くとモテモテイケメンに思われるかもしれない。でも、僕はイケメンではなく、イケメン(いけてるメンタル)である。僕には家族がいるし、妻のことは大好きなので別に浮気をする予定も、したいわけでもないのだが、なぜ、世の中では浮気がいけないことだといわれているのかがいまいち理解できないでいたため、そのあやふやな状態が嫌で、悩んでいる時期があった。
 
『そんなの簡単、愛する人を裏切ることは悪いことでしょ』などと、たぶん、九割方の人はそういうだろううし、それは真っ当な感覚で、僕はそのこと自体には異論も反論もないのだが、どうもそれを言ってしまうと、愛する人を傷つけるから、愛する人を裏切ることになるという思考が働いているようで、なんだか、浮気の可否が相手に委ねられているように思えてしまうので、なんだか嫌だ。(わかりにくいので、補足すると、僕は、相手が浮気を容認する人で、まったく浮気されても傷つかない人であったとしても、感覚として、浮気はよくないと思うから、そう思うのだと思う。←思うが続いて読みにくのは許してください。)
 
さらにいうと、浮気したい人がいたとして、それを我慢させる理由として、相手の欲求を持ってくると、ただ単に、それは欲求VS欲求のような、エゴイズムの戦いになっているようで、なんだかかっこ悪い。して欲しくないからしないというのは、死んで欲しいと言われたら死ぬのかというような、小学生の議論である。それは、自由な思想をもち、互いに依存せず、独立した夫婦の言うことではない。
 
僕は、世の中の全てを、納得した上で、自分のコントロール下において、行動したいという、素晴らしい信念の持ち主なので(別の言い方をすると、理屈っぽくて、めんどくさくて、わがままなやつ)、浮気がダメな理由を、もっと厳密に理解して、あらゆるパターンを想定しても、なるほど、やっぱりダメだねと納得したいだけなのでR。
 
道徳や法律は守るべきものであると思うし、南無阿弥陀仏を唱えるがごとく、盲目的に信じれば幸せに暮らせるのかもしれないが、それでも、やっぱり、それを自分が納得した上で、自分の信念として守っていきたいし、そうしたほうが気持ちよく、堂々と生きられる気がするのでR。
 
浮気がダメだと直感的に感じている理由は他にもあって、世界では結婚という制度が一般的に用いられていることがその一つだ(一夫多妻制の国もあるが、議論が発散するため、ここでは、もっともメジャーである1組の夫婦の結婚を推奨する制度に限る。)。結婚は、私たち結婚します!と世の中に宣言することで、死ぬまで(結婚関係を解消しない限りは)つがいとして行動し、他の人との交際を排除するという足かせを設ける。その代わりに、扶養控除や、遺産相続など、様々なメリットを保証する制度となっている。
 
では、このシステムは一体なにを狙って構築されたシステムだろうか?別な言い方をすると、結婚はなぜ推奨すべき行為なのだろうか?平たくいってしまえば、浮気しなければ、メリットあるよ。という制度だけに、そのシステムが推奨されているということは、世の中の共通善として、古来より、浮気はいかん!と新婚の嫁さんのお義父さんのような考え方があったのではないかと推測される。
 
では、なぜ浮気はいけないのだろうか?正直いうと、これの答えについてはまだよく理解できていない。しかし、なんとなく、自分がスッキリできる答えを見つけたので紹介したいと思う。(もし、自分を騙しながらでも、かっこよく、自分の信念として浮気がダメだという理由を語りたい意識高い系の人などは、真似してもらっても構わない。)
 
まず最初に、相手を傷つけるからいけないと考えた。でも、これは、すぐに相手が傷つかない人だったら成り立たないことがわかる。もっというと、二人とも傷つかない人で、一応結婚はしたけど、どっちも公認で浮気しまくりみたいな例であったとしたら、誰も傷つかない。しかし、一般的に世界の結婚制度はこれを良しとしていない。
 
次に考えたのは、こんなことを言うと、男尊女卑と言われるかもしれないが、古来より、女性は家を守り、男性は外で働いてきて、その稼ぎを家族に分け与える。(現状は逆もあると思います。)その限られた稼ぎを浮気相手に与えることで、その分、妻としての取り分が減る。それがいけないと言う考え方。しかし、これは、じゃあ、稼ぎによっては浮気はアリだということになりかねない。あいつの倍稼いでいるんだから、あいつが奥さん一人なら、おれは二人いいだろう、など、意味がわからないし、現に、それも世界の一般的な結婚制度はこれをよしとしていない。さらには、お金の話をしだすと、妻は、ペイすれば手に入るお手伝いさんみたいなもんですか?というゲスい雰囲気も漂うので、これを理由には絶対にしたくない。
 
次に、お金ではなく、時間や愛情はどうだろうか?時間や愛情を他の人に使うなら妻に使うべきだという考え方。しかし、これもよくわからないところがあって、仕事で海外に長期出張しているときなどは、明らかに、その時期だけは、時間も、愛情もそんなに妻に使うことはできない(空き時間は妻にずっと電話するとか、そんな人は現実問題いないと思う)。使えないなら他に使ってしまおうというのは、時間や愛情は限られているから、他の人に使ってはならないという理屈では、反論できない。だって、余っているから。余っているものを使わないのはもったいないでしょうと。
 
これまでの『浮気はいけない』の理由は、反例を見てもらえばわかるように(納得できない人もいるかと思いますが)、なんだか、どれも理由のようで、理由ではないような気がしませんか?いまいち、ばしっとこないというか、あいまいというか、もやもやしているというか。
 
僕がたどり着いた答えは、家族、および、夫婦は、世界で最も小さいコミュニティーであり、そのコミュニティーを大切にするということは、自分を大切にすることというものだ。
 
自分というのは、わかっているようで、わからない存在で、お父さんという立場の僕もいるし、いまブログをかいている、割と暗い僕もいるし、はたまた、会社で意味のわからない人にキレている僕もいるわけで、そのどれもが僕なのである。つまり、僕という存在を語るためには、所属するコミュニティとセットで語る必要があると思う。
 
世界で一人だけしかいないのだとすると、あなたはだれですか?と神様に聞かれたら、はて、なんでしょう?としか答えられない気がする。
 
という意味で、僕が所属するコミュニティの中で、最小単位は家族である。家族を最も優先させて、大切にするということは、自分のコミュニティを大切にするということに他ならないという気がする。自分のコミュニティを大切にするということは、自分を大切にすることである。よって、浮気はいけないのである。
 
まだ、この考え方は僕の中では少しもやもやとしている。でも、先に挙げた反例をあげられる理由なんかよりは、ずいぶんましだし、胸を張って、浮気はいけないのだ!と高らかに叫ぶことができるのである。
 
長文乙。