人の役に立つ仕事に就きたいシンドローム

sponsored link

僕は仕事から帰って来たら新聞を読みながら夕食をとることが日課になっている。夜、新聞を読むとただでさえネットの速報性に押されて価値を失いつつある新聞をさらに1日発酵させてしまうことになるのだが、新聞を情報源としてではなく、ただ単に読み物として面白半分に読むだけなので、このスタイルでも十分通用している。

 

その中でも、特に面白いのが読者の投稿欄で、いかにも暇そうなじじいの戦争反対・9条維持!みたいなものから、子供の、僕は剣道を頑張っています、みたいな記事まで、素人の完成度の低い文章を読むのが生っぽくて割と好きなのである。

 

先日、その投稿欄に、『私の将来の夢 小学3年生』みたいのがあって、内容は『私には夢があります。それは将来看護師さんになることです。看護師さんになりたい理由はひとの役に立ちたいからです。』というようなものであった。そうかそうか、お嬢ちゃんは小さいながらにも将来のことを考えていて偉いんだね、と思う反面、僕なんかは、乾いた雑巾から水を絞ろうとする際の雑巾のようにひねくれちらかしているため、そんな純粋な意見を新聞でたまたま目にしただけにもかかわらず、人の役に立たない仕事などないのではないかという疑問が頭をもたげてきた。

 

考えてみれば、世の中の職業と呼ばれるものは、その対価として、お金を得ることができる性質のものであって、お金が対価として支払われている以上、払った人にとってはお金を払う価値のあるモノであったりサービスを受け取っているわけで、そういった意味ではすべての仕事はなんらかの形で人の役に立っているはずでる。

 

それが例えば反社会的な行為であったとしても(例えば麻薬の密売人など)求める人がいるからこそ、その職業が成りたっていることを考えれば、それは人の役に立つ仕事だと言えよう。百歩譲って反社会的行為を伴う仕事をしている人たちを除いたとしても、彼らはあくまでもマイノリティーであって、やはり、少なく見積もっても95%以上(なんの根拠もないが)は人の役にたつ仕事をしていると言えると思う。

 

そう考えると、かの少女は何をもって看護師が人の役にたつ仕事だと定義づけたのかが気になってくる。ここからは推測、偏見の域をでないのだが、たぶん、彼女は、直接自らの技能、知識を目の前の人に披露して、助けて、感謝されるというサイクルを経験できる仕事がいわゆる『人の役に立つ仕事』だと思っているのだと思う。BtoBではなく、BtoC産業の現場が、直接人から感謝され、もっとも人から近い位置で仕事をすることができるということを『人の役に立っていることが実感しやすい』という意味で、『人の役に立つ仕事』だというふうに定義している節がある。

 

このような職業は他にも、弁護士、消防士、介護士などいわゆるサムライ系の職業がそれに当てはまると考えられるだろう。

 

ここでうがった見方をすると、彼女はただ単に、自分の能力でもって直接人を助け、直接感謝されたい、もしくは、感謝されている自分が好きなのではないかとうたぐりたくなってくる。『人の役に立ちたい』というぱっと聞きマイルドな口当たりのよい言葉に隠された驚くべき事実である。小学3年生の女の子に対して、しかも、どこの誰かも知らない、新聞の投稿を見ただけでここまで言ってしまうのは少し頭がおかしいのだろうが、彼女に人の役に立たないと定義されている仕事をしている僕なんかにはお似合いなんだろう。

 

今日の記事は思いのほか暗くなってしまったのは、疲れているからなんだと思う。

 

職業に貴賎なしとはよく言ったもんで、稀代のロリコン福沢諭吉翁の言葉と思われがちだが、誰が言ったかはよくわかっていないらしいうえに、福沢諭吉ロリコンだったかについても定かではない。ついでに言うと看護師さんは情が深そうで割と好きなので、そういった意味では、かの少女は僕的には見込みがあると思う。