ややこしいということ

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本日はややこしいということに着目して記事でも書いていきましょうか。

 

僕はよく人にややこしい、とか、理屈っぽい、とか、こまかいとか言われる。さらにいうなら、これは結構失礼だと思うのだが、奥さんがかわいそう、とか、子供がかわいそうとか言われる。

 

普通、こんなことを言われると、大きなお世話だ、ほっといてくれ、などと顔を真っ赤にして言ってしまいがちだが、僕なんかは大して気にならない。というのも、ややこしいのは認めるし、理屈っぽいのも認める。しかし、奥さんがかわいそうだとか、子供がかわいそうだとか、これっぽっちも思っていないからだ。

 

こういうと、人に指摘されても気づかない、こいつは相当ややこしいなと思われるかもしれないが、本当にそう思うのでしょうがない。

 

僕は、人に、理屈っぽい、とか、面倒くさい、とかいわれるときは褒め言葉だと捉えることにしている。これは、なぜ人が理屈っぽいとか、面倒くさいとか言うのかを冷静に捉えれば、すんなりと納得できると思う。

 

猿は1+1=2であることを理解できない(一部の人間に仕込まれた猿は除く)。しかし、人間は1+1=2であることを、ある程度の初等教育さえ受けていれば簡単に理解することができる。しかし、大学の数学でフーリエ級数だとか、非線形微積分だとかになってくると急激に難しくなってきて、一般的には、そうとう面倒くさい問題になってくる。

 

つまり、人は、自分が理解できないけれどなんだか正しそうなことを言われたときに、面倒くさいとか、ややこしいとか、理屈っぽいとかのたまうのである。

 

これは、褒め言葉以外の何物でもないのではないか。

 

一般的に、これまで僕に面倒くさいとか、理屈っぽいとか言ってくる人は、議論のできない人が多かった。それを面倒くさいといって避けて日常生活を送っていただくのは一向に構わないのだけど、世の中そんなに簡単なことばかりではない。というか、世の中の諸問題は結構ややこしい、面倒くさいところに存在するのだ。大局観ばかりでは、なんだかこの人ざっくりとは理解できるけど、ほんでどうするの?ということになりかねない。鳥の目も大事だが、虫の目もそれと同じように大事なのだ。

 

ここまで書いてきて、妻のことを書きたいと思う。

 

うちでは喧嘩は一切しない。ここでいう喧嘩とは、罵詈雑言を並べて感情的に罵り合うことを喧嘩と定義している。そのかわり、そうとう面倒くさく議論を続けていく。途中で、『ごめん、ギブ』と妻がなっても、基本的には僕はそれを認めない。というのも、夫婦間のいざこざは、その場で絶対に解決しなければならないと思っているからだ。『解決する』とは、お互いの主張をお互いの価値観のレベルまで細かく砕いていって、それが同意できるか、できないかを判断することである。同意できれば良いし、できなくても、それが価値観のレベルまで細かく議論できていれば、いがいと、すんなりと受け入れることができるのである。

 

例えば、『カレーライスが嫌いだ』となったとする。よくよく聞くと、『カレーに常に入っているジャガイモが嫌い』ということだったとする。さらに聞くと、『カレーに入っているジャガイモは形が崩れてどろどろして嫌だ』ということだったとする。もっときくと、『どろどろしたものはあまりすきでない』ということが分かったとする。

 

ここまでくると、価値観といってもいい。価値観は人それぞれ違うので、いがいと、その違いについては認めることができる。カレーが嫌いという人には、『カレーは世界中で認められている食べ物だから』という先入観や、『自分が好きだから』という決めつけで、なんで嫌いなの?ちょっとおかしいんじゃない?(とまでは大げさだが)とか思ってしまうこともあるだろう。これが議論のすれ違いである。もっとも大切なところまで意見交換ができていない状態でほったらかすからのちのいざこざにつながるのである。じゃがいものどろどろまで確定できていれば、どろどろが嫌いといっている人に、どろどろ好きになれよとは言えないので、あきらめがついたり、ジャガイモをメイクィーンに変えるなど、お互いが歩み寄れる解決方法を思いつくかもしれない。

 

夫婦間の喧嘩や、離婚の原因で、価値観の違いをあげている人がいるが、果たして価値観と呼べるところまで議論できているのかが疑わしい。むしろ、価値観の相違まできっちり議論できている夫婦は、離婚などするのだろうか?どちらかというと、これは相当に推定が入っているのだが、お互いの議論がすれ違って、価値観の違いを共有できていないからこそ喧嘩や離婚に繋がっているのではないかと僕は思う。細かく、丁寧に議論する能力さえあれば、お互いの違いは違いとして、独立した人間として認め合うことができるのである。

 

ここまで言うと、先にでてきた、『奥さんがかわいそう』という批判が、いかに的外れであるかがわかると思う。そう、僕は奥さんと些細なすれ違いなんかで喧嘩をしたくないだけなのだ。大切に思っているからこそ、面倒くさい議論でも、丁寧に実施していって、たとえ相手がそれを嫌がっても、逃がさず続けるのである。そして、今は、妻もそれを理解してくれて、面倒くさいけど、なんとか我慢して、付き合ってくれているのである。

 

異論は認める。そして、またしてもたとえ話にカレーがでてきてしまったことには心から謝罪する。