その男くすぐったがりではないにつき

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人間には様々な感覚・感情が備わっている。暑い、寒い、痛い、かゆい、きもちいい、たのしい、かなしい・・・数え上げたらきりがない。

 

しかし、この感覚・感情というのは実にうまくできていて、人間という種の繁栄にうまく貢献できている、というか、進化論的にはそのような機能がそなわった生物が現時点では地上に繁栄できているというべきだろうか。これは、なにを言っているかというと、例えば、寒いという感情がなければ、雪に濡れることで体温が奪われ、体内の温度が下がることで代謝がすすまなくなり、人は死ぬだろう。例えば、痛いという感情がなければ、目立った外傷がなければ、内臓破裂に気づかずに、人は死ぬだろう。例えば、たのしいという感情がなければ、人はさまざまな活動を続けることができなくなり、生物の中でも、特に人でいえば、文明の繁栄は成し遂げられなかっただろう。あ、人は死ぬだろう。

 

息子たちがこちょこちょ怪人ごっこをやっているとき、いつもそんなことをぼんやりと考えている。あ、こちょこちょ怪人をしらない人のためにすこし説明すると、こちょこちょ怪人とは人をくすぐる怪人のことで、おもにお父さんにやってとせがまれる類のものであるが面倒くさいのでなかなかやってもらえないために、兄弟間でこの状況をなんとかしていこうとする遊びの中に出てくる怪人である。

 

くすぐったいとはどういうことか。痛いでもなく、きもちいいでもなく、その間のポジションと思われるこの感覚は、果たして、なんのために存在するのかよくわからない。人間のことを考えると、その感覚・感情は深くなぜなぜと考えていくと、すべて種として滅びないため、つまり、個として死なないため、子供を産むためという理由にたどり着くというのが僕のこれまでの思考実験の結果だったのだが、どうこじつけようと思っても、くすぐったくなかったら死ぬとも、子供を産めないともいうことができない。

 

よく、AだからBなのでCと説明すべきところをAだからCだよねとわざとBを説明しないで、意味わからん、と相手がなったところで、Bを引き出してきて、なるほど、そういう見方がありましたか、おみそれしました、という手法を使うことで自分を大きく、深く、底が見えない男に見せるというコスい手を使うのだが、こと、くすぐったいに関しては『俺、あんまりくすぐったくないんだよね』という人に対して、『おい、それ死ぬぞ』とか言ってみて、『意味わからん』と返されると、『ああ、俺にもわからん』としか返せないために、自分を大きく見せるどころか、変人(いわゆるこいつできる!の変人ではなく、できることなら同じマンションには住みたくないタイプの)に認定されてしまうことうけあいである。

 

ちなみに、僕自体、先の例に出てきたような、腋の下をくすぐられても、横っ腹をくすぐられても、首下をくすぐられても全くくすぐったくないという特異体質の持ち主なので、周りには『僕はニュータイプなのだ』とかいって喜んでいるのだが、上記のように、くすぐったいという感覚がないことは、果たして、どのような結末につながるのかがわかっていない現状をなんとか打破したいというのが本音である。