ポケットは出ない
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『ポケットでてますよ』
とある後輩が僕に放った一言。その刹那走る違和感。
『ポケットは出られないだろう』と。
確かにポケットを構成する布はあなたの仰ったようにズボンの外にだらしなくはみだしていたかもしれない。ただし、その布のことをポケットとよべるならな!!
ポケットとはくぼみ状のものをさし、転じて洋服につけることで中にものをいれることのできる昔の人が編み出した生活の知恵である。つまり、当初の言葉のことを考えれば、それが外にはみ出した段階で、すでに『くぼみ状のものにものを入れる機能』はすでに消失しており、それをポケットと呼ぶことは僕にはどうしても受け入れ難かったのだ。入れれるもんなら入れてみんさい、このポケットを構成する布が外にとびだしたものに!さあ、さあ!!
というようなことを言ったら、(この後輩は僕のことをよくわかってくれているので(そう思いたい))嫌な顔一つせずに、『ではこの場合どのように指摘するのがもっとも違和感なく受け入れられるのだろうか』という疑問について一緒に考えてくれた。
議論の内容は早回しで結果だけ
・確かに『ポケットがでている』と言うと、もともとポケットの持つ機能をそのまま保持したまま外に飛び出したように聞こえないこともない。(現に僕はそう聞こえたのだからこれはなんといわれようとそうだとしか言えない)
・それであれば機能を喪失したことを表せる動詞として『裏返っている』というものを使ったらどうか?
・このいいかたでも果たしてくぼみは裏がえることが出来るのかという哲学的問題は残るため、『裏返ってますよ、ポケットが』のように倒置法を使うことでのちにでてくるポケットという単語が裏がえることの出来る、服についている物質としてのポケットだということに限定してしまうのがよい。
・付随効果としては『裏返ってますよ』を最初に持ってきて、かつ、『ポケットが』という間に時間を開けることで、『何が裏返っているのだろうか?』と考える機会を与えることができる。これはいわれた側に対して『あっちゃ〜ポケット裏返ってたよ〜ん、はっずかし〜い』という状況であたふたするのに気持ち的余裕を与えることができる。
果たして、円満解決、ポケット議論においては世界トップクラスではないか、よかった、よかった、などと笑い合っていたのだが、後日『裏返ってますよ、ポケットが』と実際いわれた時には、倒置法が含む小馬鹿にした感じしか伝わってこなかった。
ま、こういうことですよ。