もっとも無駄な学問は考古学ということでよろしいでしょうか?

sponsored link

僕は大学時代は工学部だったので基本的には理系教科を学んできたのだが、1、2回生のときには一般教養として文系教科を含む様々な教科を受講した。

 

考古学もその時に履修したうちの一つだが、炭素で年代を測定したり、実際に掘り返している現場にいったりした。講義自体はそこそこ楽しかったのだが、果たしてこれは学問としてどうかという疑問はのこった。(べつに、レポートを友達にコピペさせてそれが先生にばれ、コピペさせる方も悪いという理屈でレポート未提出扱いにされたことを根に持っているわけではない。)

 

教育機関で学ぶことの学問はそれこそ星の数ほどある。その中でもダントツ役に立たないのは考古学と断定してもよい。はっきり言って趣味レベルだと思う。こんなこと言うと日々考古学の発展にがんばっている吉村?さんなどに怒られるかもしれないけれども、本当にそう思うのだから仕方ない。

 

これは、思えば、小学校のときに歴史の授業が開始される一番最初の授業で、先生に『歴史を学ぶ意味はなんだろう?』と聞かれ(小学校の割には授業の動機付けをしっかりとするいい先生だったのだが)、みんなが『過去の教訓をまなぶため』などとどこで聞きかじってきたのか大人の真似をした頭を使っているのかいないのかわからない予定調和な回答をするなかで、『歴史をまなぶ意味は全くない』という主張を一人してのっけから授業を荒らすという謎事件をひきおこしてからの僕の基本的思想なのかもしれない。

 

正直近代の歴史はまなぶべきところがたくさんあるし、現在生きているなかで繰り返してはいけない過ちとか、現在の世界の成り立ちについてよく知っておく必要があるのは理解できる。引っ越ししたてであまりよくわかっていないご近所さんの、転校したてであまりよくわかっていない友達関係のパワーバランスや流れる雰囲気を読もうとするのと同じような感じだろうか。近代は現代のご近所さんなので、それは生活に直結しているものだから、文化・文明、その背景をまなぶというところに近い。

 

僕がいっているのはもっと昔の話で、少なくとも中世以前の歴史は知っていても知っていなくてもどちらでもいいと思う。引っ越し後に、あまりよく知らないご近所さんのことはなんとなくわかってきたので、そろそろパプワニューギニアのダペンポさんについて知ろうかな?とならないのと同じである。正直、歴史はあまり興味がないので実際にしらないのだが生活にはほとんど支障がない。実用だけでいうのならば、産業革命以降くらいでいいのではないか。(支障があるという人には本気で具体的に何の支障があるのか聞いてみたい。ローマ史を知っていたから背がぐんぐんのびて180cmに!、とか、なんと、匠は古代ピラミッドの構造を参考に階段裏に収納をもうけたのです!とか、聞いたことがない。まあ、もうっ、聖徳太子を知らなかったせいで先日のお茶会では恥かいちゃったわよっくらいはあるかもしれないがそれは貴女(あなた)の一般教養をバカにされているだけであるだけであって歴史を学ぶ必要の議論とはなんら関係ないのである。)

 

だとすると、何のための学問なのだろうか。家系図がないとなんとなく不安だから調べ始めてしまう近所のおばあちゃんなんかと同じノリなんだったらわざわざ国費をつかってまで推進する意味はないししないでほしい。人間のルーツや人種のルール、我々は何者なのか?という問いはそれ自体バカバカしいことだし、自分は自分だと思って、それ以上でもそれ以下でもないことを理解して、日々真摯に暮らしている人にとってはなんだか自分を縛られているような、否定されているような感じを受けるのではないでしょうか!!!!

 

と、ここまで書いてみていったい自分は何にそんなに怒っているのかわからなくなったうえに、よく考えると大学で受講した考古学はそこそこおもしろかったし、さらに確信にせまると、(あまり認めたくはないのだが、)この文章は読み返してみるとそこまで面白くもないので、なんなら消してしまおうとおもっても、せっかく書いたのだからと一旦下書き保存してみるも、さらにせっかく書いたんだし、このブログは僕の頭のなかを書き出すことがコンセプトだったじゃないかと思い返して投稿します。